家の裏に置いた白い大きな箱に電気を貯めて、電線をハサミで切ってしまうのが一番いいんです。ぼくはもう五年もそうやって暮らしていますけど、これ以外の方法は考えられません。
みなさんはきっと地球のためにとか、これからの子供たちのためにとか、きれいな言葉で次世代のエネルギーを探しているふりをしていますよね。
でも本当はただ怖いだけなんじゃないでしょうか。
ある日突然、壁のコンセントから電気が来なくなって、いつも手元で光っているスマートフォンが黒い板になってしまうことが。
夏の日差しで熱された部屋の中でエアコンが止まって、べたつく汗が背中を伝う不快さに耐えられなくなることが。
自分が汗をかいたり、暗闇で震えたりするのが嫌なだけなのに、環境とか未来とか大きな主語を使って自分を正当化しているのを見ると、ぼくは少しだけ悲しい気持ちになります。
そんな遠回りをしなくても、自分の家の屋根に黒い板を並べて、家の裏に置いた白い箱に電気を貯めればすべて解決するのに。
想像してみてください。ある冬の夜のことです。外では風が唸り声を上げていて、窓ガラスがガタガタと小刻みに震えています。あなたは暖かい部屋でソファに深く体を沈めて、柔らかい毛布を膝にかけている。
手には温かいコーヒーが入ったマグカップがあって、その熱が指先からじんわりと伝わってきます。そのとき、ふっと部屋の明かりが消えるんです。テレビの音も消えて、冷蔵庫が低く唸っていた音も止まって、急に耳が痛くなるような静けさがやってきます。
暖房の温風が止まると、床の下から冷たい空気が這い上がってきて、足首のあたりを冷やし始めます。あなたは暗闇の中で目を見開いて、心臓が少しだけ速く打つのを感じるはずです。向かいの家も、その隣の家も、街中の窓という窓から光が消えて、ただの黒い塊になって沈黙している。そんなとき、ぼくの家だけは違うんです。
屋根の上で昼間のうちに太陽の光を吸い込んでおいた電気が、壁の中の線を伝って白い箱から溢れ出してきます。ぼくの部屋の明かりは一度も瞬くことなく、そのまま静かに灯り続けているんです。コーヒーメーカーは新しいお湯を沸かす音を立てていますし、足元のヒーターは変わらず赤い光を放ってぼくのつま先を温め続けてくれます。
窓の外を見ると、暗闇の中で近所の人たちが懐中電灯の細い光を頼りに右往左往しているのが見えます。彼らが寒さに震えながら、いつ復旧するかわからない不安に押しつぶされそうになっているのを、ぼくは暖かい部屋の中からただじっと見下ろしているんです。そのときぼくの胸の奥で、どす黒くて重たい喜びのようなものが渦を巻くのがわかります。
自分だけが守られているという安心感と、他人とは違うという優越感が混ざり合って、指先まで痺れるような快感が走るんです。これこそが次世代のエネルギーの本質だとぼくは思います。誰かと分け合うものではなくて、自分ひとりだけが生き残るための手段なんです。
毎月ポストに届く紙切れに書かれた数字に怯える必要もありません。あの紙切れは、あなたがたが電気会社という他人に命綱を握られている証拠みたいなものです。彼らが値段を上げれば、あなたは文句を言いながらも従うしかない。彼らがスイッチを切れば、あなたは何もできずにただ困り果てるしかない。首に目に見えない鎖をつけられているのと同じです。ぼくはその鎖を自分で外しました。屋根の上の板と、裏庭の白い箱だけで、ぼくの生活は完結しています。朝、太陽が昇れば勝手に電気が溜まっていき、夜になればそれを使う。ただそれだけの繰り返しの中に、他人が入り込む隙間はありません。
みなさんが本当に求めているのは、クリーンなエネルギーでも持続可能な社会でもないはずです。
ただ、誰にも邪魔されずに、自分だけは快適でいたいという欲望だけですよね。だったら、ぼくと同じようにすればいいんです。
屋根を黒い板で埋め尽くして、巨大な蓄電池という白い箱を家に迎え入れる。それだけで、あなたは暗闇に怯える群衆の中から抜け出して、光の当たる場所で彼らを見下ろすことができるようになります。
それがどれほど心地よいことか、ぼくは知っていますから、早くこっち側に来ればいいのにといつも思っています。