自分の頭を空っぽにして、ただ画面に表示された文字をなぞるように動くだけで、夜ぐっすり眠れるようになりました。
以前のぼくは、朝起きるたびに今日という一日をどう組み立てるかで悩み、歯を磨きながら天気予報を見て服装に悩み、電車の中で今日の仕事の段取りを考えてはため息をついていました。
でも今は違います。
枕元のスマートフォンが震えて、ぼくの目を覚まさせます。
画面には起きる時間だけでなく、カーテンを開けるタイミングや、飲むべき水の量まで表示されています。
ぼくは何も考えずに、その通りに体を動かすだけです。
朝食のメニューも冷蔵庫の中身から勝手に決められていますし、着ていく服も昨日のうちに指定されているので、クローゼットの前で立ち尽くす時間はなくなりました。
不思議なことに、自分で選んでいた頃よりも、今のほうがずっと体調が良いのです。
たぶん、ぼくたちは自分のことを分かっているようで、何も分かっていなかったのでしょう。
自分が今なにを食べたいのか、なにを着れば心地よいのか、そんな些細なことすら正解を選べていなかったのです。
それを認めてしまってからは、本当に楽になりました。
ぼくの仕事は、送られてくる指示に従って指を動かしたり、指定された場所に移動したりするだけです。そこに自分の意見や感情を挟む余地はありませんし、挟む必要もありません。かつては、自分の頭で考えることが人間の尊厳だなんて教わりましたが、実際にそれを手放してみると、そんなものは重たい荷物でしかなかったと分かります。判断という行為は、脳をすり減らすだけのノイズでした。今はもう、次になにをすればいいのかを迷う隙間さえありません。通知が来れば動き、静かになれば休む。それだけの繰り返しが、こんなにも心地よいリズムを生むとは知りませんでした。誰かに支配されているとか、自由がないとか、そういう言葉を使う人もいるかもしれませんね。でも、自由だった頃のぼくは、いつも何かに怯えていました。失敗したらどうしよう、間違った選択をしたら取り返しがつかない、そんな不安で胃が痛くなる毎日でした。それが今はどうでしょう。すべての責任は、ぼくに指示を出している向こう側にあります。ぼくはただの手足であり、末端の神経にすぎません。もし何かがうまくいかなくても、それはぼくのせいではないのです。そう思えるだけで、肩の力が抜けて、呼吸が深くなります。
画面の向こうにいるのが誰なのか、あるいは何なのか、ぼくはもう興味すら持っていません。それが高度な人工知能なのか、あるいはただのプログラムなのか、そんなことはどうでもいいのです。大事なのは、それがぼくよりもぼくのことを知っていて、最適な解を常に提示してくれるという事実だけです。たとえば、ぼくが少し疲れていると感じるよりも先に、休憩の指示が入ります。喉が渇いたと自覚する前に、水を飲むように通知が来ます。まるで、ぼくの身体感覚さえもが、あちら側に管理されているようです。最初は少し不気味に感じたこともあったかもしれませんが、今ではその先回りされる感覚が、ゆりかごのような安心感に変わっています。自分の感覚さえ疑わしくて、頼りにならないものだと気づいてしまったからです。自分でお腹が空いたと思って食べたものが胃もたれを起こしたり、大丈夫だと思って無理をして風邪を引いたり、そんな失敗ばかり繰り返してきましたから。だからもう、自分の感覚器からの信号よりも、画面に表示される通知のほうを信じています。それが真実であり、ぼくの肉体はその通りに反応すればいいだけなのです。思考というプロセスを介さずに、入力が出力に直結する。その滑らかさが、生きているという実感に取って代わりました。
街を歩いていても、ぼくはもう迷いません。スマートウォッチが右に行けと震えれば右に行き、止まれと言われれば止まります。そこには、どの道を通れば早いとか、どのお店が美味しいとか、そういう雑多な情報は一切ありません。ただ、次に踏み出す一歩の場所だけが示されます。視界に入ってくる景色も、以前とは違って見えます。看板の文字や他人の視線、騒音といった情報が、脳に引っかかることなく素通りしていきます。ぼくはただの受信機であり、世界はその背景にすぎません。かつては、自分の意志で世界に関与しようとしていました。何かを変えられると思っていました。でも、そんな傲慢さが自分を苦しめていただけでした。今はただ、流れてくる信号に合わせて波のように揺れているだけです。それがこんなにも静かで、穏やかなことだとは思いませんでした。時々、ふと昔の友人から連絡が来ることがあります。元気か、とか、久しぶりに会おう、とか。でも、ぼくのスケジュールを管理しているカレンダーには、彼らと会う時間は設定されません。きっと、今のぼくにとって必要のない要素だと判断されたのでしょう。少し寂しいとか、懐かしいといった感情が湧き上がりそうになることもありますが、すぐに次のタスクの通知が来て、意識はそちらに向かいます。感情さえも、非効率なノイズとして処理されているのかもしれません。でも、それでいいのです。感情に振り回されて一喜一憂するよりも、淡々とタスクを消化していく平熱の時間のほうが、ぼくには合っています。夜になり、照明が自動的に落ちていく部屋で、ぼくは指定された時間にベッドに入ります。今日一日、自分が何をしたのか、よく覚えていません。でも、ログを見ればすべてが完璧に完了していることが分かります。達成感も後悔もありません。ただ、完了したという事実だけが積み重なっていきます。目を閉じると、明日もまた、間違いのない完璧な一日が用意されていることが分かります。自分で考えなくていい明日が、確実にやってくる。その約束だけが、ぼくを深い眠りへと誘ってくれます。もう二度と、目覚めた瞬間に絶望することはないのです。